僕が私立高校を1年の夏で退学して都立高校に編入した話




こんにちは!わたがしです。今日は僕の過去とも織り交ぜて話をします

 

実は僕、高校1年の夏に、通っていた私立高校を退学して卒業した都立高校への転入学に成功した経験があります。

今日はその経験をもとに、都立高に転入したい!でもどうしたらいいかわからない・・・という方を励ます記事を書きます。

東京都以外でも高校を辞めたい方、環境を変えたい方の参考になると思うので読んでください。形式的には僕の伝記みたいになりますが気にせず読んでください。高校を辞めたいと思っている方の助けになると思います。

 

①高校受験~高校入学まで

 

話は高校受験までさかのぼります。中学3年生の時僕は都立の日比谷高校を志望していましたが、見事に落ち、私立の中から進学先を見つけなければなりませんでした。

僕の家は経済状況がよくなかったので、入試の成績が良く3年間特待が取れた3コース制の私立高校に進学しました(総合偏差値50くらいの中で偏差値65の最上位コース。いわゆるお勉強コース)

 

その高校の最上位コースでは、15人ほどしかクラスにおらず、毎日7時間目まであり、放課後も3時間は勉強が義務付けられ、部活もほとんど出来ませんでした。

教師による圧迫も強く、何より勉強しろ。早くノートをとれ。そればかりでした・・・・

 

そんな壮絶な環境を目にした僕は体が持たないと思い、入学して1週間で転コースを決意。一つ下の普通レベルコースに転コースしました。

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②転コース~退学のきっかけになった事件まで

 

ちょっと話がそれますがその学校では3年間特待が取れるのはその最上位コースだけでした。

とどのつまり、下のコースに落ちた僕は3年間特待からはずされ、代わりに1年間特待が付与されました。

いい成績をとり続ければ特待は更新されていくので、そのままその学校に残る選択肢もありましたが、以前のクラスで恫喝していた教師や学校への怖さから、

 

この学校は絶対おかしい、辞められるなら辞めたい・・・

 

と日々思うようになりました。そして、いよいよ辞めるきっかけになったのはある日起きた事件でした。

 

③iちゃんの二面性

 

事の発端は新しく入った普通レベルのクラスにいたiさんという女の子でした。

その子はスタイルが良くかわいかったのでクラスの上位男女混合グループに所属していました。

そして僕もそのグループに入り、みんなで昼ご飯を食べるようになりました。

そして僕が新しいクラスに入って1ヶ月経った頃から、徐々にtさんと距離が近づき、一緒に帰ったりするような間柄になりました。そこで思い切って告白してみたところ、

 

 

 

なんと答えはNG!

 

 

 

結局こんなものかと世の厳しさを思い知りました。頑張ったのに。

ところが後日、携帯に同じグループの男子Aから衝撃的なラインが届きます

 

 

 

「俺の彼女に(iちゃんに)関わらないでくれない?」

 

 

 

 

 

してやられた!と思いましたね。見事なまでの二股です。

驚きましたよそれは。そこで僕は思い切って彼にことのいきさつを(tちゃんの僕に対する態度)を伝えたところ、彼は驚いてすぐに別れ、iちゃんの黒いうわさは拡散されていきました。

この一件で僕のいたグループは崩壊し、数グループに分かれました。悪評の広まっていたiちゃんはどこのグループにも属せず、クラスで浮くようになりました。

 

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④突然の呼び出しからまさかの軟禁、そして・・・

二股が発覚してからまた一か月がすぎ、クラスは落ち着きを取り戻し始めました。相変わらずiちゃんは女子の間でも浮いていましたが、徐々にほとぼりも冷めつつありました。

 

しかし6月16日、事態は急転します。

 

その日はiちゃんは教室に来ておらず、みんな休みだと思っていました。

そしていつも通り朝から授業が始まったのですが、1時間目の途中で突然僕の友達の男の子が一人、先生に呼び出されたのです。その後も一人、また一人、男子も女子もグループも関係なく、クラスの主要な人間ならみんな呼び出されているようでした。

iちゃんと付き合っていたAも呼び出されていました。そして昼休みを過ぎて誰も帰ってこず、午後になって僕が呼び出されました。

 

 

 

呼び出されたのは職員室の一角。仕切りが設けられた狭いスペースに連れてこられ、しばらくひとりでほったらかしにされた後、教務のいかつい先生がきて開口一番、

 

「君が最近やったことで、呼び出されるようなことをした覚えはない?」

 

といいました。背筋がぞくっとしたのをいまだに覚えています。

明らかにその先生は僕のことを疑いの目で見ており、警察で取り調べを受けているかのようだったからです。そして僕がわかりませんというと、その先生は

 

「iちゃんが君にかばんを漁られたっていうんだけど、間違いないよね?」

 

正直なにを言われたか全く意味が分かりませんでした。カバンを漁られたっていうのは初耳だし、なんでそれが確定事項のようにきかれているのか理解できなかった。

とにかくその場で否定しましたが、教師は本当にそうなのか?お前が気付いてないだけじゃないのか?と何度も聞かれ、あまりにも執拗だったのでそういえばあったかもしれません、と認めかけた瞬間もありました。

そのままでは埒が明かないので、いったん考える時間を求め、その教師に一人にさせてもらいました。

 

落ち着きを取り戻し、冷静になってみてもカバンをあさった記憶はなかったので、もう一度教師を呼び、自分はやってないと突きつけました。

そこでその教師はそうかそうかと席を離れ、1時間ほどあと(この間個室に再び放置)、別の教師と二人でまた同じようにカバンをあさったかどうか執拗に詰問されました。

この時に聞いた仔細によれば、その日の前日にiちゃんは何人かからいじめられていると学校に電話し、当日は親と一緒にその詳細を応接間で先生に報告していたそうです。

教師陣はその事態を重く受け止め、いじめた生徒をひとりひとり呼び出し事情を聴いていました。(もはや痴漢の冤罪のように一方的でしたが)

結局私はその日延々と無実を認めてもらえず、何度も先生に「お前がやったんじゃないのか」と言われては否定し続け、数時間個室に放置されを繰り返され続けました。

部屋に連れ込まれて4時間がたったころには誰も助けてくれない孤独と疲弊のあまりすっかり弱気になってしまいました。

苦しい受験がようやく終わって始まると思っていた楽しい学校生活が自分とはかけ離れたところにあると気づき、家族への申し訳なさやどうしようもない悔しさで涙が止まらなくなっていました。

そして悔しさのあまりテーブルに置かれていた鉛筆をすべて折りました。

苦し紛れの抵抗でもあったのですが、それも教師の目にはマイナスに映ったようで、「あ、なに鉛筆折っちゃったんだ」と言われただけでした。その後も認めるまで尋問は続きました。

 

 

 

⑤敗北、事態は最悪の方向へ

 

確か呼び出されたのは午後1時で、取り調べが終わったのは午後9時頃でした。

もう7時を過ぎたころから、僕は精神的にボロボロで、教師の質問にもはっきり答えられなくなっていました(何を聞いてくるかはわかっていたので、しっかり耳を傾ける必要はなかった)。

そしてだんだん、自分の中でもう早く楽になりたい、ここから出たいという気持ちが高まり、何度も同じことを聞かれ、否定し続けたのについ、

 

「もしかしたらそういうことがあったかもしれません」

 

と言ってしまいました・・・

 

考えていたのは、5月下旬の時のこと。

何かというと、iの席にたまたま座って友達としゃべっていた時のことです。

でも覚えていたのはそれだけでiのかばんを触った覚えは全くありません。

その時はちょっと違うことを言えばこの理不尽な状況が変わるかもしれないと思って言ってしまいました。

そしたら教師たちは顔色を変え、その時のことを根掘り葉掘り聞きだします。僕もいよいよ頭が回らなくなり、言われるがまま質問に答えていきました。

 

先ほども言った通り取り調べは9時に終わり、そのあとは30分ほど放置されました。そしてまた最初に来たいかつい教師が来て一言

 

「今回の件を学校側は非常に重く受け止め、君に恐らく停学処分をわたします。詳細は会議で決まり次第連絡しますが、ご家庭に連絡したところお母様と連絡がついたので、今日君はもうお母さまに引き取ってもらいます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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⑥どん底から這い上がる

 

その瞬間体に落雷が落ちた気がしました。

頭が真っ白になり、姿勢を崩して椅子に崩れ落ちました。

あまりにも衝撃だったので言われたそのあとは自分が何をしていたか覚えていません。(あの6月16日は自分の中であまりにも記憶に残っているのですが、その中であの一言を言われた後母親が来るまではほとんど覚えていません。ただ涙が止まらなかったのはぼんやり覚えています。)

 

気づくと職員室の別の部屋に連れていかれ、そこに母親が待っていました。(なんと職員室の一角に9時間も軟禁されていた!)

 

母親ははじめ教師から事情を聴き、うなずいていました。

そして一通り聞いた後僕を叱り始めました。人のカバンなど漁ってはだめだろう、何やってんの、と。

僕は否定しましたが、教師はさらにそれを否定しました。否定と否定の応酬です。もう僕も自分の言っていることが正しいかわからなくなっていました。

 

 

しかし結局、母は僕を信じてくれました。

泣きながら訴える僕を見て、何かがおかしいと思ったそうです。

そしていったん二人きりで話し合う時間をもらい、自分がやってないこと、ずっと軟禁されていたこと、教師は一切自分の話を聞こうとしてくれなかったこと、洗いざらいすべて話しました。

僕の話を信じてくれた母はすぐ教務主任に直談判。停学の判断に信用性が持てないと訴えました。

ひとまず3日間の謹慎処分になり、処遇はあとで母親と学校側が話し合うことになりました。(余談ですが謹慎処分と停学処分では処分の重さに雲泥の差があります。謹慎処分で学校を休んだ期間は欠席扱いになり教育委員会に報告されませんが、停学処分は教育委員会に報告され、卒業しても記録として残されます)

 

 

 

謹慎処分の3日間の間に何をしていたかですが、ひとまず慰安旅行として翌日に神奈川の三崎口に母とマグロを食べにいきました(笑)。何してんのという話ですが、正直何をするのもしんどかったので何もない海岸を散歩したり、海鮮丼を食べたりしました。

 

「三崎口」の画像検索結果

 

本当に海以外何もない

 

 

 

あまりにも何もなかったので心が洗われた気がしましたね。

 

 

 

そして帰ってきて母親と話し合った結果、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校を辞めることにしました。

 

 

 

 

 

⑦退学、二度目の高校受験

 

あとでわかったことでしたが、5月のグループ崩壊後、iは自分がクラスでなぜ浮いているかわからなかったようです。

そして自分がいじめられていると思い、僕と同じように何人もの人について濡れ衣を着せていました。

僕と同じ目にあった人は実にクラスの半分近くの16人に上り、その中には元カレのAも含まれていました。そして何人かは実際に停学になりました。

その一件が起きた次の日にはすでにクラスは崩壊し、関係ない子も嫌がって学校に来なくなるような状態になっていました。

1学期も残りわずかだったので出席日数に問題はないだろうと思い残りの期間はすべて欠席しました。

 

学校側とは話してもどうしようもない状況だったので(結局こっちが悪いという形で終わらせたいらしく、謹慎の理由をこちらの非にしようとしました。)母親の知り合いの弁護士を通じ提訴しようかと考えましたが、割に合わないと考え、慰謝料を請求しました。

余談ですがこの時僕はストレスで10円禿ができていたので、それを名目に慰謝料を請求しました。このとき相談に乗ってくれた弁護士さんには今でも本当に感謝しています。

 

学校側との関係はうやむやになり、なにがなんだかよくわからなくなりました。校長から電話がかかってきて形だけでも丸く収めてくれないかと言われました。無視しました。

 

そして二度目の高校受験の準備を固め、7月31日に退学届けを提出し、高校を辞めました。

 

 

 

⑧いよいよ2度目の高校受験

 

まず、僕が経験した都立高転学試験についてざっくり説明します(詳しくはこちらで)

 

まず、私立の試験は受けなかったのかと聞かれることがありますが、答えは受けられなかったです。

私立の募集は6月くらいに締め切られます。ぼくは遅かったんですね。

まあ経済的に余裕があるわけではなかったのと、また私立に行って先生に縛られた生活を送りたくなかったので最初から自由な都立に入りなおすつもりでした。

都立では8月の上旬に2名の募集が行われ、中旬に一週間を挟んで試験が2回行われます。これはつまり2校受験のチャンスがあるということ。ただ、転入への道は針の穴のように小さいです。

 

転学試験は大体どこも英数国と面接が課されます。落ちたら通信か定時制に行くか、就職するしか道がなくなるので落ちないように気を付けてください。

僕は両方とも落ちたら母親のつてで漁師をすることになっていました。都立高は受験できるチャンスが2回あるのでどちらかで受かりましょう。

 

さて、いよいよ2度目の受験になりますがまず僕が受けたのは小山台高校でした。応募者は2枠に3人。倍率1.5倍には焦りましたが、受験生の時は余裕で受かる高校だったので自信はありました。英数国の試験を終え、手堅い印象でした。ただ問題はそのあと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面接で惨敗しました

 

 

 

 

 

いや正直舐めてた。夏休みは全体的に病んでたのでそれが面接でもろに出てしまいました。答えがしどろもどろになり、自分でもやってしまったと終わった後に思いました。

 

 

 

2時間後に発表された結果は不合格。そして何より驚いたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合格者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マジですこれ。

 

マジで誰も通りませんでした。ぞっとしましたね。転入試験厳しすぎる。普通の高校入試と違って絶対に合格者は出るわけではありません。白紙の合格発表を見たときは息が止まりました。何度も間違ってないか見ましたが番号はありませんでした。だって白紙だもの。

 

 

 

⑨再びどん底、3度目の受験

 

武蔵小山から帰宅したときはこの世の終わりのような気分でした。僕の残りの人生でもあの時より追いつめられる瞬間は来ないと思います。家に帰って床に倒れこみ、そのまま動けなくなりました。もう無理だと思いました。

 

 

 

結局その日は母と次でどの高校を受けるのか話し合いましたが決まらず、寝ました。ちょっとレベルを下げたくらいでは受かる気がしなかったので思い切って下げる手がありましたが、それだと前の学校よりひどい所へ行ってしまうのでは・・・

あの夜はもう眠れなくてベッドで泣きました。本当にどうしようもなかったんです

 

そんな迷いと絶望感につつまれ、次の日に別の候補先の学校を訪問しました。もともとそこを訪れた際担当の先生が丁寧に接してくださったことがあり、もうどうすればよいかわからなかった僕ら親子は失礼を承知でその先生に相談しに行きました。その高校は小山台と同じレベルの学校だったのでもう受けるつもりはなかったのですが、とにかくどうしようもなかったので相談に行きました。そしたらなんとその先生はいいました(諸事情により後半部分に記述)。

 

 

 

びっくりしました。まさかそんなことができるなんて。しかもその先生はさらにあることを教えてくれました。そして、

 

「ぜひ頑張ってほしい」

 

そう一言をいただきました。その先生には深くお礼をし、そのまま急いで言われた通りのことをしてみたところ、衝撃的な結果がでました。

 

それまで絶望の淵にいたのですが、これなら行けるかもしれないと思いました。ていうか、本当に救われた。暗闇の中で自分がどこにいるかわかった気がしました。

 

 

 

 

 

そして二日後、2回目の出願をしました。残りの時間はひたすら勉強しました。死に物狂いで勉強しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出したのはあの丁寧な先生がいる高校です。

リスキーでしたがこれ以上レベルを下げても恐らく自分の望む環境は手に入らないだろうし、ほかの受験生は委縮してもっとレベルを下げるだろうと思いました。そして、いよいよ3度目の受験が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試験会場に着くと、僕を含め5人がいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倍率2.5倍です。つまり、5人中3人は落ちるのです。いや、また全員落ちるのかもしれません。カイジかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の中が爆発しそうなくらい緊張しましたが、試験が始まる頃になり、ここまでくるともうどうしようもないな、と思うようになりました。

 

 

そしたらなぜか全く緊張せず、ほとんどリラックスした状態で試験を受けました。試験時間の合間には窓からの木漏れ日を眺め、ゆったりと紅茶を飲みました。数学は見たことがない問題でも一発で解法が浮かびました。どの教科も信じられないくらい出来が良かったです。

 

 

 

そして面接では前回と打って変わってしっかりと答え、いい感触を得ました。聞かれた質問は前回と大差なかったので簡単に答えられました。

 

 

 

 

 

⑩最後

 

結果発表までの2時間は高校近くのカフェで親と過ごしました。お互い何も言いませんでした。ただ時間が過ぎるのを待ちました。

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ時間になり、カフェを出ました。最初は僕一人で見に行こうとしましたが、結局二人で見に行くことにしました。

 

 

 

 

 

学校までの坂を下りながら、いろんなことを思いました。幼少期のこと、小学校の友達の別荘で遊んだときのこと、両親との会話や弟のこと、前の学校でのいざこざもその時にはどうでもよくなっていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親は始終黙っていました。今思えば想像を絶する気持ちでしょう。僕も何もしゃべりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしていよいよ校門をくぐり、掲示板の近くまで来ました。遠目で正確にはわかりませんが、どうやら合格者はいるみたいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受かっていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時僕は膝から崩れ落ちました。身体中が興奮して汗がふきだしました。親も安堵していました。

 

掲示板の右側ではあの先生が待っていました。心の底からお礼を言いました。彼は試験について何もしてないそうですがそれでも何度もお礼をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼に連れられて奥に入ろうとしたとき、後ろに受験者の女の子がいることに気づきました。お母さんと見に来ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は落ちていました

 

 

 

 

 

僕は彼女のその時の表情を忘れることができません。

 

 

 

 

 

彼女はそのまま校門をくぐり、帰っていきました。どこに向かったかはわかりません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果的には二人が受かっていました。

もう一人の合格者とはすぐ仲良くなり、高校で一番の親友になりました。入学手続きを終え、教材と制服を買い、2学期から新しいクラスに入りました。

本当にただの転校生という感じです。新しいクラスになじむのは大変だったけど、友達はできました。先生も前の学校と違ってみんな暖かかった。生徒もみんないい奴でした。本当に転校してよかった。卒業式の日、心の底からそう思いました。

 

最後に

 

高校を辞めたいと思ってる方、違う環境に行きたいと思っている方、高校の転学は本当に大変です。ですが、環境を変えることで得られるものは計り知れません。もし今の環境がどうしようもなくて、先に進めないという方はこのブログを参考にして下さい。

転入に成功すれば高校生活は絶対に変わります。人が環境を変えるのではありません。環境が人を変えるのです。

最後の最後に・・・

 

転学試験は情報も少なく、どう対処したらいいかわからない場合が多いと思います。当ブログでは都立高の転入試験を受ける方のために「都立高転入のための基礎資料」を配布しております。内容は以下の通りです。

①実際に受けた転入試験の内容(試験内容・時間割、各科目の問題の内容(一部過去問あり))

②実際に転入試験の面接でされた質問

③実際の試験・面接の様子

④2校目の先生が教えてくれた「そのこと」とは

⑤試験の配点、1回目の試験で落ちた点数、2回目の試験で受かった点数

⑥僕の身の回りで合格した人の話

⑦実際に書いた転学理由

⑧都立から都立への転入は可能か

⑨受験校の選び方(転入先の高校はどのくらいの偏差値がよいのか)

⑩転入すると決めたら実際にすべき行動

 

・・・・・

などなど、転入に必要な、僕が都立高の転入試験を受検したときに喉から手が出るほど欲しかった情報を全て詰め込みました。また、資料には1回目の転入試験に落ちた場合絶対に知っておかなければならない「そのこと」を書き加えてあります。合格を保証するものではありませんが、これがあるのとないのとでは雲泥の差が生まれると思います。

ただ、長すぎるのと、若干ぼくの個人情報が出ているのでレポートにしてあります。

読者の方が無事に合格するために作りました。下のリンクから詳細を見ることができます。

 

 

 

 



3 件のコメント

  • 有機野菜さん、はじめまして。

    まさに今悩んでいて、色々調べていて、偶然このブログを見つけました。

    とてもわかりやすく書かれていて、転校した理由、試験当日の話、転校してからのこと、よくわかりました。

    あまりにも情報が少ない高校の転校。とても参考になりました。

    相談にのっていただけたらと思いコメントしました。

    • 私は、この夏転入試験を受けようと考えている高校1年です。私は、都立高校の受験に失敗して、私立高校に入る事になったのですが、色々な事情で、その高校にも入る事が出来ず、ずっと、行きたくないと決めていた高校に入る事になってしまいました。その高校は、中高一貫で、あまり評判が良くない事に加えて、高校から入る生徒は数名です。友達は、出来ましたが、あまり私にはあっておらず、いまだに慣れません。学力もあっていません。そこで、私は転入を考えました。しかし、調べてみたところ、高校一年生で、夏の試験は、普通科から、定時制、工業科などへの転入しか認めないと書いてありました。私が、今通っている私立は普通科ですが、やはり、都立高校への転学はできませんか?
      転入の相談を、周りにできる人がおらず、困っています。よかったら、教えてください!

      • はじめまして。ブログ主です。

        (http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/admission/high_school/transfer/transfer_and_admission.html)に書かれている

        【第1学年の第二学期】
        在籍している課程・学科とは異なる課程・異なる学科への出願が可能です(例:普通科から工業科への転学、全日制の高校から定時制の高校への転学など)。

        という部分は“普通科から普通科への転校に加えて”普通科から工業科など現在通っている高校の学科とは異なる学科への出願が可能という意味です。これは高校一年の一学期ならあまり単位も関係なく、他の学科でもやり直しがきくということを示しています。

        東京都の説明はわかりにくいので、わからないところがあったら東京都に電話して確認することをおすすめします。ひとまず普通科から普通科への出願は可能なので安心してください。

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